生命保険外交員を経験した理由は毎回動機が少しずつ異なります。
3回生命保険外交員を選んだ理由の中で共通する項目があります。
それは、お給料です。
お給料は、一般事務やパートで働くより断然良いです。
同じ働くならお給料が少しでも多いほうがいいというのが私が保険外交員を3度も選んだ大きな理由です。
実際にシングルマザーで子育てをしている女性も多くいました。
頑張って5年以上働けば、お給料が安定してきます。
ですがそこまで、我慢できずに辞めてしまうというのが現実です。
一度目は、私が短大を卒業してすぐの仕事でしたが、この時はいわゆる氷河期世代の時でした。
多くの企業が採用を抑制した年です。
私は、英文科で学んだ知識を空港の地上勤務で生かせないかと夢抱いていたころです。
その年はどの航空会社も地上勤務とキャビンアテンダントの採用がなくなった年でもあります。
それ以外の企業でも多くが採用を抑制していた年です。
面接を受けるために履歴書を送ってもなかなか面接までこぎつけることができませんでした。
私の場合、受けて受かった企業が生命保険会社の営業だったということです。
好きで営業を選んだのではなく、履歴書を書いて面接までこぎつけて内定をもらえたのが保険会社の営業だったという結果です。
今思い出しても、辛い就職活動でした。
二度目の保険外交員(明治生命)これまた、保険外交員をやりたいと思ってお仕事を決めたわけではないのです。
ちょうど次男を産んだ時で、でも旦那様のお給料だけでは生活できず働かないと。。。
ってことでいろいろなパートをしたわけです。
コンビニの早朝バイト、安楽亭のランチ時間のホールパートなどなど
しかし、次男が小児喘息で0歳から2歳までほぼ毎月入院していました。
その度に仕事を休むことになり、そんなこんなで休んでばかりで続かず辞める羽目に、、、
でも、保育園に預けるには、年に一度の保育園の更新時に提出する勤務先証明書が必要で困っていたところに、保育園のママ友が当時明治生命の保険外交員をしていたのでお誘いがあったわけです。
追い込まれた私は、勤務先証明書が欲しいがため、ママ友のお誘いに乗って二度目の保険外交員になりました。
三度目の保険外交員(第一生命)
三度目は、子育てもほぼ終盤戦のころの40代でした。
信託銀行で派遣社員としてオペレーター業務をしていた時です。
特に仕事に大きな不満はありませんでした。
ですが、ちょうどそのころ派遣法が改正になるときでした。
同じところで3年以上働けないという法改正ができると聞かされた頃です。
休んだらお給料が引かれちゃう
有休が少ない
社員の人と同じように働いても待遇が全然違う、、、
しかも、3年以上は同じところで働けないってことはそこで直接雇用してもらうか新たに新しい職場を探すかということになるのです。
直接雇用してもらうのが一番良いけれど、そのジャッジは派遣先企業によるのだから絶対じゃない、、
そんな時、第一生命保険会社の担当者が、またまた声をかけてきたのです。
もう一度働いてみないって、、、
絶対やらないって、、
1年以上お断りしてきたわたしですが、派遣法改正で心が揺れたわけです。
そんなこんなで、気がつけば3度も生命保険外交員をしていたのです。
第一生命では、最後までやり切りたいと入社しましたが、入社して半年過ぎたころにTAFRO症候群という難病になってしまい休職したのち復職したのですが、その後も入退院を繰り返し仕事ができなくなって辞めるという決断に至りました。
休職中もお給料がもらえました。
有給休暇もしっかり使うことができ、厚生年金だったので退職後も傷病手当金で生活できました。
続けられなかったのは残念ですが、派遣社員から第一生命へ転職しておいてホントによかったと思っています。